ゴシック建築は図像などの美術的な見方によっても、形態、
技術等の建築的な見方によっても、一貫して用いることが
出来る定義付けが難しい。敢えて客観的にその構成の特徴
を挙げるなら、空間の高さと、材料の細さの表現であろう
か。
長い西洋建築史の中で盛衰しつつ、ゴシックが様式として
の地位を確立したのは、構造的合理性を持ちながら、全体
を統合する独自の美的効果を有しているからだと思う。
その効果は外部のみならず内部空間にも表われ、例えば聖
堂の、線的で軽快な構造とステンドグラスが嵌められた開
口によって射し込む光跡は、美的現象として濾過される。
その空間はシュヴァルツヴァルトに例えられ、親しまれて
きたそうだ。シュヴァルツヴァルトとはドイツ語で「黒い
森」を意味する。モミやマツの濃く生い茂る、深い森のこ
とだ。
深い森に洩れ差す一条の光。これは洋の東西を問わず、多
くの人間に共通する原風景かも知れない。
人は森の暗さを畏れつつ、同時に温かさを覚える。母の胎
内の暗さと同種の包摂される安心感だろうか。さらに洩れ
差す光は外界との交信のように、魂も暖めてくれるだろう。
建築を設計するにあたり、常にこの根源的な心地良さを探
求したいと思ってきた。設計者として「光」をコントロー
ルするのは当然のことだが、近年僕はむしろ「陰」を操る
ことに腐心している。陰は森であり、森の深さが光を一層
浄化させるからだ。
太子堂の家は、都心の住宅地に暮らす家族3人のためのコ
ートハウスである。2階に上げられた寝室以外の諸機能が
中庭を囲んでいる。特にダイニングルームは、中庭と直接
連続する外部のような内部空間であり、キッチンと一体と
なって生活の主要な舞台となっている。キッチンの対面に
は柱が林立する間仕切があり、その向こう側がリビングル
ームとなる。
イメージしたのは深い森の中の空地と大樹。---森に分け入
ると突然現れる明るい空地。その空地(中庭)の傍で大樹
が木蔭をつくっている。そこで食事をし、幹の陰の祠のよ
うな場所で寛ぐ。空地の明るさと祠の暗さ。その対比が印
象的で神寂びている。見上げると枝葉の隙間から洩れた陽
光が周りに影模様を映している---。
設計でゴシックをイメージしたわけではない。構造が組み
上がり空間が現われて気付かされたのだ。用途も規模も文
化も根本的に違うものながら、これはゴシックの聖堂が生
まれる過程で先人達によって描かれたイメージと根源的な
ところで繋がるのではないかと。
僕たちは安息の地を求めて、何百年も彷徨い続けているの
かも知れない。安息の地を求めて。「黒い森」の中を。